芸能の根本を問うかもしれないボカロ

   2014/08/01

この記事の所要時間: 239

メジャー化のために一皮むける必要はあるのか

 ある日、Twitter上に「ボカロ文化がもう一皮むけるには」というような内容のハッシュタグが立ったことがあります。このタグもすぐに大喜利化してしまいましたが、ジャンル化が進行する現状に危機感を抱く人が少なくないことも確かです。

 歌などの芸能の原初というものは、個人が気ままに披露し、それを気に入った金持ちがパトロンとなり芸を磨かせるというものでした。次第にそれが組織化されていくもののパトロンの個人的趣向による出資で生かされていくことにかわりはありませんでした。

 現在のように、レコード会社がアーティストと呼ばれる人たちを世話し宣伝して作品を発表させ、そのアガリで社員を養うというシステムが出来上がったのは、歴史を見ればほんの短い期間でのことです。

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ボカロの登場で個人でも音楽活動が可能に

 しかし、現在のボカロ以後環境ではそれで収入を得ようと思いさえしなければ、ほとんど元手をかけずに一人で気ままに楽曲を披露する事ができます。レコード会社に拾われメジャーデビューという形を取らずとも音楽活動をし、インターネットを介して多くの人に聴いてもらえるのです。これは、音楽活動の環境がレコード会社などの音楽業界の独占から開放され原初の芸能の形態に回帰したともいえます。

 この環境を生かし享受するのなら、特に一皮むける必要はないでしょう。このボカロにより生み出される楽曲たちは、個人が好きに歌ったものが共有された平安時代の歌謡である『今様』のようものに立ち返りつつあるのかもしれません。

メジャー化のリスク

 商業的な意味でのメジャー化での最大のリスクは、ボカロがバーチャルな歌手ではなく何かの作品のキャラクターとなってしまうことでしょう。今のところ、一次権利保持者であるクリプトンが著作権に対し慎重な采配を行なっていることから、そうした気配はありません。

 しかし、グッズの開発や販売、また楽曲の舞台化などの流れを取り仕切る企業の差配次第ではリスクは存在します。実際、一般ウケということを考えると「原作」が無いキャラクターというのは存在が理解されにくいということもあり、いつそういった色がつけられてしまうとも限りません。

 メジャー化のために一皮むけるいうのがそういうことであれば、果たして必要なことなのかどうか。最後の一花になってしまう可能性のほうが高いのではないかという危惧の方がより感じられます。

 とはいえ、ボーカロイドが産んだかつて無い創作環境が今後どういった動きを見せるのか、見守ってみるというのも面白いのではないでしょうか。

ボーカロイドシーンの来し方行く末 なぜ彼らは無償で曲を発表し続けるのか
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商業化の試み 趣味人の思考は「普通の人」には想像がつかないのです
手段が目的にすり替わる時。シーンの長期化と熟成が産んだ変化
●メジャー化のために一皮むける必要はあるのか。芸能の根本を問うかもしれないボカロ

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