ライトノベルって何

   2014/11/03

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 出版不況と言われる近年ですが、それでも毎月凄まじい勢いで新刊を発行し続けている小説ジャンルがあります。それがライトノベルです。
 今回は、それがどういったものなのか軽く触れてみましょう。

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その定義

 実は、ライトノベルには明確な定義はありません。かつて、「SF」として出版すると自著が売れないからと別ジャンルを立てるように主張した作家がいたり、「面白ければミステリー、つまらなければSF」として出版するからどう見てもSF的な道具立ての『パラサイト・イヴ』はミステリージャンルである、などと口の悪いことを言われていたことがありましたが、ライトノベルにはそれ以外のものとの線引は存在せず、マーケティング的にライトノベルと称して発行することで売り上げが得られるからライトノベルである、というのがその実情です。

 一応、ライトノベルとして販売されている小説の特徴は下記のものが挙げられます。

 ライトノベルのレーベルから発刊されている。
 アニメ・マンガ調のイラストの表紙や挿絵を多用している
 中高生層を想定した内容となっている。

 しかし、これもよくある傾向に過ぎず、200年代半ばに『新本格』として展開されたミステリーもライトノベルに含むのではないか」、さらに70年代以降のSFやファンタジー全般をライトノベルに含むなどなど、諸説紛々です。

そのため、巨大匿名掲示板2ちゃんねるの「ライトノベル板」における、「あなたがライトノベルと思うものがライトノベルです。ただし、他人の賛同を得られるとは限りません」という定義がもっとも状況を的確に表現していると言えます。

 いくぶん乱暴ですが、将来のアニメ化やコミック化などのメディアミックスを視野に入れた売り方をしたい小説をライトノベルとして「売る側が」定義していると言ってしまって良いでしょう。

歴史と展開

 内容的な面では、『竹取物語』や『源氏物語』、『南総里見八犬伝』などがライトノベルの先祖ではないかという見方もあります。物語というものが持つ荒唐無稽さに楽しみを見出す傾向は有史以来変わっていないということは言えるでしょう。70年代以前にはそうした古典や軍記物の現代語訳、歴史小説が占めていた層を、現在ではライトノベルが掌握しているといってもいいかもしれません。

 80年代は朝日ソノラマ文庫がSF小説を、富士見ファンタジア文庫がファンタジー小説を主に発行し、中高生層に大きな影響を与えていました。アニメ調の表紙絵や挿絵が採用されたのもこの頃ですが、この時点ではまだ絵は本文の添え物でしかありませんでした。

 しかし、この形態での出版が続くうちに、次第にイラストレーターのグッズ感覚での購入者が現れるようになります。それが売る側にも認知されたのか、次第にそうした「イラスト買い」をする層への訴求を強めていきます。この層の人達は中高生や大学生などの若年層であり、アニメやマンガに親しんできた世代です。そのため、小説の内容自体もどんどんアニメ的になっていきました。この流れの走りは神坂一『スレイヤーズ』であったとされています。

 そして、次第に(小説の内容が優れていることが前提であるとしながらも)表紙イラストレーターの人気が作品の売り上げを左右するようになっていきます。もはや、人気イラストレーターがつくことが売れるための前提となっていくのです。

 そのため、編集側が有望だと判断した作家には人気イラストレーターをつけることになります。

文体の変化

 イラスト主導になることで、小説本体の文体にも変化が表れます。

 まず、人物の外見描写が減ります。これは制作の都合から作家とイラストレーターが細かい打ち合わせをできるわけではないので、下手に文中に描写をするとイラストと食い違ってしまうからです。

 そして学園物が増えます。現代日本は教育の崩壊が叫ばれる中とはいえ未だ教育水準は保たれているため、学校生活はほとんどの人たちの共通体験です。そこで主人公たちを学生という設定とし制服を着せてしまえば、多くの説明を省けるというわけです。

 さらに、本文中から地の文が減ります。これも人物描写がイラストに持っていかれていることと無関係でありません。また、インターネットの掲示板では会話劇型式の長文が人気を博していることもあり、その流行に乗ったものといえます。現在では多くのライトノベルが、ほぼ会話だけでの進行となる場面すらあります。ただしセリフは長いものになることが多く、このあたりはケータイ小説とは違った進化を遂げたといえるでしょう。

これらの変化は、イラストで売りたいという方針からの当然の帰着と言えるものとなっています。

マルチメディア戦略

 近年、アニメ作品が多大な人気を博した谷川流『涼宮ハルヒの憂鬱』シリーズは特にアニメに興味がなくても何かで目にしてしまうというくらいに、大きな広がりを見せました。

 このように、いまやライトノベルはアニメの原作提供元として欠かせないものとなっています。ほぼ毎日深夜時間帯に放映されているアニメの原作のほとんどはライトノベルで、それに次いでアダルトゲームが続くといった様相となっています。

 ライトノベルはアニメ化を視野にいれて展開されていますが、まずイラストが付いているということで、少し人気が出るとコミカライズ=マンガ化されます。マンガはイラストレーター自らが執筆することもあれば、別のマンガ家が起用されることもあります。いずれにせよ、表紙や挿絵イラストと同じデザインのキャラクターがマンガ内で動くことが重要となります。

 このコミカライズはやはり原作がどの程度有望かにより割り当てられるマンガ家の力量にも差異が出るため、ヒットするかどうかは最初から決まっている感があります。最終的な目標であるアニメ化に向けたレールの第一段階であるといえるでしょう。

 マンガが人気が出ればアニメ化となります。原作のポテンシャルが期待できる場合は、アニメ化とマンガ化が同時に行なわれることもあります。

いずれ、版元としてはアニメ化による映像ソフトや関連グッズ、書籍の販売という商機を実現させるために、これまでやってきたということになります。もちろん、アニメ化に伴い原作小説も桁違いに部数が伸びるので、これも大きな商機となります。

アニメも予算規模や制作体制などは原作小説の人気とポテンシャルに左右されます。どの程度の原作かにより企画のレベルも変わるといっていいでしょう。

消費スピードの加速。縮まる寿命

 現在の深夜アニメは1クール13話程度が標準的となり、同じ日の同じ時間帯でも年に四本の放映ですから、年間トータルでの放送本数は凄まじいものとなっています。そのなかでも採算レベルに至るヒットとなるのは1クールに20本以上の放送のうち僅か1?2本という有様で、かなり厳しい戦いとなります。

 このように、魚やカニが大量の卵を生むことで成体になれる個体の数を一匹でも増やそうとする生存戦略のごとき状況でアニメが制作されている有様ですので、当然それにみあった原作ライトノベルの供給が必要となります。そのため、ライトノベルはシリーズ物となると2?3ヶ月に1冊という従来の小説としては考えられないペースでの刊行となっています。

 このような状態ですので、ライトノベルはさながら焼き畑農法です。

 加速するばかりの消費スピードに加え、アニメが終了すれば原作人気も火が消えるという状況も多くあります。と、いうのもアニメがこれだけの量産体制ですので、そのクールの覇権を獲ったアニメ以外は内容的には棒にも箸にもかからないような残念な出来となっていることが殆どなのです。このようなアニメ化は、原作人気を食いつぶすだけでなく、作家のモチベーションも奪います。

こうして、ライトノベルの作品の寿命は極めて短いものとなっていくのです。
この傾向は、東アジアの地政学的リスクが爆発しアニメ制作の外注が難しくなるような状況が来ない限りは、恐らくは今後どんどん拍車がかかっていくものと思われます。

このハヤカワがスゴい!: わたしが知らないスゴ本は、きっとあなたが読んでいる

2013-08-02作成
2014-11-03再編集

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