3分で理解する古式競馬

 

競馬といえば「菊花賞」や「天皇賞」などは、よく知らないひとでも思い描くことでしょう。
競馬自体を楽しむことがなくても、それだけ浸透しているということは公営競技であるにもかかわらず驚くべきことです。
「ギャンブル」としての歴史というよりは、馬と人間との関わりといった面で密接であるからでしょう、
日本には「古式競馬」と言われるものがあります。
「こまくらべ」や「くらくらべ」といった呼び名で知られているものです。
馬を走らせてその速さを競ったり、乗馬技術やお作法を競うものです。
神事などと結びついていることも多く見られます。

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日本書紀の中の古式競馬

日本書紀は奈良時代に書かれた日本最古の歴史書です。
神代から持統天皇の時代までを扱っています。
その中に天武天皇8年、良馬の俊足を鑑賞するために走り比べをする会が行われた記述があります。
これは鑑賞を目的とした「走り馬」として発展を遂げ、速さと馬術を競うものは宮中行事の騎射(うまゆみ)とともに行われる行事として発展していした。
この騎射(うまゆみ)は日本書紀の雄略天皇記に記述があり、天皇が騎射で誤って王子を射殺してしまうことが描かれています。
不幸な話ではありますが、騎兵が成立する以前にこの技術はあったということは伺い知れます。
この騎射には静止した馬から射るばあいと、馬を走らせて矢を放つ場合とがあったようです。
しかし基本的には前方向へ放つことを基本としていましたから、流鏑馬のようなものとは若干違うようです。

宮中行事としての古式競馬

宮中行事としての古式競馬は、主に馬術を競うものです。
未調教の馬を左右に配して、直線コースの馬場を二頭で走らせる、その旨を「乗尻」と呼ばれるキスが巧みに操って先着を競うという競技でした。
「速さ」を競うだけのものではなく、速さにはその乗尻の技術介入度が大きく、それを競っていると考えていいでしょう。
乗尻は衛府や馬寮に属する武官から選ばれ、競技に挑む際の服装なども決まっていたようです。

この競技は中世にいたるまで行われ、花園院(花園天皇)の日記(花園天皇宸記)には、花園天皇が属する持明院統のライバルに当たる大覚寺統の後醍醐天皇と皇太子邦良の皇位継承争いで鎌倉幕府に有利な裁定を求める使者を送る様について「夜に競馬と号す」とシニカルに記しています。

流鏑馬はどこから

馬術を競うものではなく、馬上の実践的弓術を競うものと考えたほうがいいようです。
流鏑馬を含む弓馬礼法は896年宇多天皇の時代に源能有に命じて制定しました。
中右記の中には平安時代から弓馬礼法が存在していたことが書かれています。
この技術は大和武士によって春日若宮おん祭で大和武士によって「流鏑馬十騎」が今日まで奉納され続けています、
武士の嗜みとして幕府の行事にも組み込まれ、稽古や実演がされていたようです。
しかし足軽や鉄砲といった集団戦闘の時代に入った室町や安土桃山時代には、一時廃れたそうです。

琉球競馬

琉球王朝以来の沖繩伝統文化にある琉球競馬は、速さのみならず美しさを競う沖繩の古式競馬です。
「世界に類を見ない独自の文化」と言われる所以は、「蔵の上に水を入れた茶碗を置いても一滴もこぼさない走り方は芸術的と言うより他に言いようがない」と書かれた書物があるように「美しさの求め」にあります。
並足、早足の中間速度で美しさをみせるものや、人のナンバ走りのような側対歩、などから足の運びのリズムと姿勢の美しさ優雅さを競うものです。
全力疾走は「ヤマト走り」といって馬鹿にされていたようです。
この伝統は第二次大戦開戦後も人々を楽しませていましたが、沖縄戦を境に途絶えることとなってしまいます。
いま復活させる動きがみられ期待されるところですが、一度失った文化を取り戻すことは容易なことではありません。
このように、戦争や支配が、独自の素晴らしい文化を無きものにしてしまう事例は世界にも多いものです。

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