マージャンの歴史とアメリカでのヒットから日本での現状

   2015/03/11

雀士の通り名といえば今時は和泉由希子プロの「アイスドール」、清水香里プロの「セメントクイーン」和久津晶プロの「超攻撃アマゾネス」などが有名でしょうか。
どうして宣材写真が「婚活女子」のようなイデタチなのかは良くわかりません。
まだチャイナ服のほうが納得できます。
雀聖とよばれた阿佐田哲也氏、雀鬼と呼ばれる桜井章一氏、いづれもカッコイイ通り名です。
誰が最強かという話はよく口端に登りますが、負けない麻雀をして期を待つというのが麻雀の鉄則だとすれば、その点桜井章一氏は最強かなと私個人としては思います。
イカサマをすればどんな事でもできるからというのが下衆の勘ぐりで、ここ一番がどこなのか見極めずにダボハゼのように行っていれば、今の時点で生きていないいないのではないでしょうか。

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麻雀の歴史

麻雀が中国で生まれたことは疑いようもありません。
しかしその起源が諸説あり、どれも決め手にかけるものです。
とはいえ有力とされているのは19世紀半ば清の同治年間に寧波の陳魚門がカードゲームのマージャオと骨牌(かるた)を合わせて考案し、麻雀を完成させたというものです。
とはいえ唐代明代にはエーツーというカードとサイコロを組み合わせた麻雀にごく似通うゲームがあったことから、その説も当たらずとも遠からずという程度に考えたほうがいいのかもしれません。
かなり中国では浸透していたゲームですが、中華人民共和国政府によって1949年に一度禁止されます。
他のギャンブルも規制対象となっていたことから、麻雀も賭け事の要素が強かったと考えられます。
文化大革命を経て、賭けを伴わない麻雀は許され1985年には禁止令が解除されました。
40年近く禁止されていたのであれば世代交代も伴って、ルールその他が消えかかってもおかしくない状態だと思えます。
それでもスムーズに再開できていたならば、人々の間ではこっそり受け継がれていたのかもしれません。

アメリカでの大ヒット

日本に先んず1895年には、アメリカで麻雀についての記述がある文献が残っています。
1910年頃にはフランスや日本においても麻雀について書かれた文献は広まりました。
しかし実際に麻雀に興じるようになったのは、1920年代。
アバークロンビーアンドフィッチ社が麻雀を輸入し販売を開始したのが1920年でした。
ニューヨーク市を中心に大ヒット商品となり、12000セットを売り上げたのだそうです。
すべての人種の間で遊ばれるようになったものの、アメリカにおいては一過性のブームであったようです。
今では麻雀といえば「上海」といったパズルゲームを指している場合が多いでしょう。
とはいえガース・ネルソンやジェンといった有名どころのアメリカ人雀士もいますから、いまでも熱狂的なファンは存在しているのでしょう。

日本での麻雀の認知

夏目漱石が1909年に書いた見聞物の中で、麻雀について触れている箇所があります。
かといって自ら興じた話しではなく、ただ単に「こういう賭け事を見かけた」という程度のものです。
実際に日本に伝わったのは明治の終わりがけであり、大将時代の半ばにじわじわと広まりつつ、それでも一般的に認知され始めたのは大正12年の関東大震災以降であったようです。
作家などのアーティストが集う神楽坂のカフェプランタンで菊池寛たちが麻雀に夢中になり、雑誌などで取り上げられるようになったことが要因でしょう。
分限春秋社は麻雀牌を販売するまでになりました。
本当のブームが訪れるのは戦後の1940年代の末あたりではないでしょうか。
阿佐田哲也氏の麻雀放浪記が連載されたのは1969年からですが、描かれた時代背景は戦後の混乱期のものです。
しかし若干のアンダーグラウンドの雰囲気を伴っていた麻雀が、一般大衆の娯楽として浸透していったのはこの「麻雀放浪記」の影響が絶大であっただろうと思われます。
1970年代は麻雀雑誌なども創刊され、大学生、サラリーマンは麻雀に夢中になりました。
そこには常に「賭け」「喫煙」「徹夜」「飲酒」といったダーティーな雰囲気が伴い、とても健康的とは言えないものでした。
次第に「不健康な物」を排除する世相になってきた1988年には、健康麻雀なる動きも盛んになりました。

現代の麻雀

多種多様のアミューズメントが発達した現代、麻雀を知らない若者も増えました。
苦労せずとも他に楽しいことがたくさんあるのでしょう。
麻雀はルールも少々難しく、短絡的な世代には受けないものだったかもしれません。
とはいうものの火が消えるはずはなく、新たに「ツキ」「勘」「流れ」を非科学的と真っ向から否定する「デジタル麻雀」なるものも台頭してきました。
確率論と統計学的な戦略を提唱する「理論的」という武器を持った主張です。
しかし今でも「ツキ」「勘」「流れ」を意識する雀士は多く、私自身も「最後は結局これ」と思っています。
デジタルからはオカルトと揶揄するものであっても、実際は頭の中の計算方法が「デジタル」と豪語する人々と若干違うだけなのです。

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