アガサ・クリスティーという作家とは

   2013/05/29

アガサ・クリスティーといえば、ギネスブックが「史上最高のベストセラー作家」に認定しているほど、人々に認知されているミステリー作家です。
1920年にデビューを果たし85歳でなくなるまでに、実に多くの小説を世に送り出しました。
アガサ・クリスティーの生い立ちは、アガサ・クリスティーが小説を書き、そこに描かれた人々の人物描写が実に活き活きとしているとこにむすびついてゆきます。

スポンサーリンク

アガサ・クリスティの生い立ち

アガサ・クリスティの父は、祖父の遺産を受け継いだまま投資家に預けては、自分はなにもしないといった人でした。
それが「ていたらく」といった表現ができるものでもなかったでしょう。
ただ単に「商才がなかった」ということを、本人も知っていたということだけかもしれません。
母は少々価値観が普通と異なる人だったようですが、この母を生涯父も愛し夫婦仲は良かったようです。
この母の教育方針は、アガサ・クリスティーの小説家としての資質に大きな影響を与えます。
10歳近く離れた姉は寄宿学校に入りおり、兄もパブリックスクールを退校して入軍していました。
末っ子のアガサ・クリスティーは兄弟と幼少期をともに過ごすことはなく、両親や使用人たちを相手に遊んでいたようです。

そんな中にあっても母はアガサに学校で学ぶことを禁じていました。
また7歳までは字を覚える必要がないという独特の教育論のもとに、アガサは字を覚えるのが他の子に比べてずいぶんと遅かったようです。
同年輩の友達がいない彼女は、家の庭園で想像力を友達に一人遊びをしていました。
内気な少女時代を余儀なくされていたのです。
字を覚えてからは父の書斎にある書籍を読みふけり、幅広い知識と教養を身につけてゆきました。
内気ではあったでしょうが、この時間が彼女の小説家としての資質を育てたと言っても過言ではないでしょう。
家庭の事情でフランスに短期間移住した折に、お行儀や礼儀作法を教える私学校に入り、演劇や音楽は学びました。
しかし母はアガサに正規の教育を受けさせることは最後までしませんでした。
しかしこのことをアガサ自身は誇りに思っていました。
じぶんのイマジネーションが、この時間によって培われたという確信を持っていたのでしょう。

小説家として

父が破産し、それについで死亡します。
自分自身も結婚と離婚を経験する中で、創設かとしての活動も活発になってゆくのです。
また彼女は消極的な(少なくとも行動半径としては)少女時代を過ごしていたのですが、自立してからは旅の中で小説のインスピレーションをうけつづけました。
特に離婚してからのオリエント急行での一人旅の与えた影響は大きかったようです。
独特の観察眼で得たその土地の知識や背景などは小説の中に随所に生かされています。
日本の「着物」や「力士」、「麻雀」なども小説の中にちょこっとですが登場しています。
好奇心旺盛に見聞きしたものを、忘れない人であったのでしょう。

アガサ・クリスティーが世に送り出した主人公達

エルキュール・ポアロはアガサ・クリスティーが生涯描き続けた主人公でした。
独特の雰囲気が可愛気をもたらしていた探偵ですが、このポアロにはアガサ・クリスティー自身はヘキヘキしていたようです。
ポアロを書きたくなくなっていたアガサに、半ば強制的な形で出版社は続編を求め、それは大衆の求めでもありました。
ポアロの作品中、自分の創作した人物を持て余す女流作家が登場しますが、それはポアロを持て余す自分自身であったのです。

ミス・マープルはアガサが創りだした架空の村「セントメアリミード村」で起こった出来事から推理してゆくという手法のおばあちゃん探偵さんです。
その経験と洞察力が彼女の最大の武器。
彼女は優しいおばあちゃんで「切れ者」に見えないことから、あまり警戒されないのです。
時として動かずして事件を解決する探偵ものと勘違いされますが、彼女は概ね出先で事件に遭遇したり、事件現場に自ら赴く活動的な人物です。
アガサの祖母をモデルとしていたようで、その人物の描き方には愛情が見られます。

スポンサーリンク

この記事のタイトルとURLをコピーする
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocket

この記事へのコメントはこちら

メールアドレスは公開されませんのでご安心ください。
また、* が付いている欄は必須項目となりますので、必ずご記入をお願いします。

内容に問題なければ、下記の「コメント送信」ボタンを押してください。