アーケードゲームにおける1970年代とは

   2013/06/17

アーケードゲームとは、業務用ゲーム機械のことです。
ピンボールのような機械の時代もありましたが、コンピュータゲームが誕生してから後はそれを指すことが多くなったと思われます。
ゲームセンターにあるようなゲームと言えばわかりやすいでしょう。
このアーケードゲームの発達がコンシューマーゲームよりも、早い段階で登場したことは良く知られています。
アーケードゲームの歴史の始まりは1971年であり、コンシューマーゲームは1976年マテル社が発売した「AutoRace」が世界初の携帯型電子ゲーム機でありコンシューマーゲームの先駆けとなるのではないでしょうか。

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ノーラン・ブッシュネルのアーケードゲーム

1971年史上初のアーケードビデオゲーム「コンピュータスペース」を発売しました。
ノーラン・ブッシュネルはのちに「マテル社」の創始者であり、「ビデオゲームの父」と呼ばれる人物です。
しかしこれは操作性の悪さから、全く人気が出ませんでした。
今となればいとも簡単な操作だったのですが、男子大学生という属性以外には難しいと受け止められたようです。
また処理能力の遅さも問題でした。
1972年にはコンピュータスペースでの散々だった結果の反省を生かし、「pong(ポン)」をアタリ社より発売します。
テニスゲーム様のもので、これは大ヒットとなります。
アミューズメント産業史初の反響を得たコンピュータアーケードゲームでした。

日本におけるアーケードゲームの1970年代

1973年、ブッシュネルの「ポン」のヒットをから、コピーゲームである「ポントロン」と「エレポン」がそれぞれセガとタイトーから発売されました。
1976年にはアタリ社が「ブレイクアウト」を発売し、日本はこれを「ブロックくずし」という呼び名で発売しました。
これを販売するために多くのゲーム会社が創業され、多くのコピー商品が出まわりました。
海外メーカーからのライセンス生産に強かったタイトーは、ライセンスという手順をきちんと踏んでいたことから、発売に遅れを取ってしまうのです。
他社のブロックくずしがコピー商品であることをナムコは再三アタリに訴えますが、アタリは次なる展開のための資金繰りに追われている時期でした。
アメリカでコピー商品が出回っていなかったということもあり、実質被害を受けていないアタリはナムコの訴えに対して無回答であったということです。
このコピー商品を売っていた会社には「ユニバーサル」「サン電子」といった名前も見られ、今となっては錚々たる会社です。
いざタイトーが発売したときには、多くのシェアはそのコピー商品に取られていたのです。
タイトーはもともとジュークボックスを輸入販売し、コイン投入式の機械を収めている販路を持っていました。
筐体を接客テーブルと兼用できる形にすることで、店にとってもよいという方向でも開発を始めました。
このテーブル型筐体は、のちの「インベーダーゲーム」のヒットの時にも爆発力を見せました。
インベーダーゲームは1978年にタイトーが発売したのです。
ブレイクアウトをライセンス生産してから、たったの2年でこれだけのものを作れるまでに国内は成長していました。
この「インベーダーゲーム」は空前の大ヒットを記録し、社会現象まで巻き起こすほど。
この年アタリ社も「スーパーブレイクアウト」を発売しましたが、このインベーダーゲームの前に霞んでしまいました。
ナムコはこれを追う1979年に「ギャラクシアン」を発売し、ポストインベーダーの位置につけました。
これもかなりの好評を得たものでした。
そのころマテル社は世界初の携帯電子ゲーム「AutoRace」を1976年には発売していたのです。

このように1970年代は次の時代に続く、ゲームを語る上で不可欠な時代でありました。
また日本という国が「模倣」から始まり、独自性を持ち得るまでに時間を要さない国だということが顕著に現れています。

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