出汁はいつ頃からあったのか

 

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日本で現代の様な出汁が登場したのは、室町時代だと言われています。初めは“昆布出汁”だったのですが、が主な舞台になったのは“精進料理”だと言われています。御承知のように精進料理は、魚介系も含めてすべての動物性の食材はタブーですから、昆布の旨味は、精進料理の根幹になっていったということでしょう。

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また海路の発達も西高東低で関西地域に偏重した様なのですが、その当時の文化・文明は関西中心だったので、ある意味では仕方のないことだったかも知れません。それにつけても、ロジスティックが文化・文明に与える影響は、現代でも図り知れない部分があります。

しかし、出汁の本当の歴史はもっと以前で、縄文時代に遡るとも言われています。“土器”が作られるようになって、火が日常的に使用されると、自然に食材を煮炊きするようになって、出汁の起源ができたという学説もあリます。やはり火と土器は食文化に深い影響を与えているのでしょう。

また昆布自体もその頃の日本では食べる習慣がなく、中国の江南地方から交易のためにやってきた人々が伝えていったという説もあります。またコンブという呼び名もまた、アイヌの人々がそう呼んでいるのを、中国人が持ち帰り、その後日本に伝わったとも言われています。いずれにしろ、北海道が出汁昆布の発祥の地であったことは、様々な説からも正しいのでしょう。

昆布が全国的に広がってきたのは、“北前舟”が発達した江戸時代だったようです。それ以前は“弁財船”と言われていて、船の数も少なく、輸送量も限られていたようです。しかし、ロジスティックの発達は、食文化に少なからぬ影響を与えたようです。昆布ももちろんなのですが、太平洋沿岸で細々と続いていた鰹節が、やはり広まっていったことも北前舟の影響下にあったことは否定できないようです。

その一方では、鰹を調味料的に使ったのは、大和朝廷草創期以前の4?5世紀あたりだと言われています。もともとは鰹を煮出して、その汁を煮詰めて使っていたようなのですが、やがて干し鰹が登場して現代の鰹節のおおもとになったとも言われています。

やがて室町時代に入ると農業が発達して、大豆などが安定的に供給されるようになり、大豆調味料が台頭して鰹の需要は衰退していったということのようです。しかし、人々のDNAの記憶には、鰹の味は強く残り、鰹節が登場するようになったと言われています。

このようなことが出汁の起源、ということになります。

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